エジプトのファラオの名前の前におさえておくべきことたち

エジプトのファラオの名前の前におさえておくべきことたち

エジプトの神官は偶像それ自体を崇拝したわけではない。彼らは、その神は実在し、神像に宿っていると考え、それゆえ聖域で直接呼びかけ、たたえることができると信じていた。

 

神が何かに宿っているというのは日本の神道にも通じるところがあります。死後の世界に関してはまったく別の考え方なので、分岐点が違うことへの面白さというか、でもまったく違う世界線なんだろうな…。

 

 

古代エジプトの暦は、30日からなる月が12か月あった。実際の太陽年(現在はおよそ365.25日とされる)とのずれを調節するため、神々の誕生日として指定された5日の閏日が毎年加えられた。現代の暦における閏年と同様である。農業に基づく社会なので、古代エジプトの一年は、それぞれ4ヶ月にわたる三つの季節、すなわち氾濫期、潘種期、収穫期に分けられた。具体的な日付は王の知性年と結びつけられる。たとえば、アアケベルウラー・アメンホテプの治世12年、収穫期第三の月、17日といった具合である。

 

おいおい

太陰暦を使ってたのよりずっと進んでるっていうか…ま、日本でも二十四節気を農業暦として使ってたわけですけど、すごいよね。

 

 

これまた、違う本の違う章ですが

コプト語の「生命」や「生活」は、ankhであって、それが「余分」なヒエログリフの最初の文字に相当するのかもしれない(今日まで、ankhの記号は何をもとにしているのか、わかっていない)。ankhは、Tutankhamun にも入っている。ツタンカーメンというなまえは、「アメン神の生き写し」を意味する。

 

そうか。

今、シャンポリオンとトマス・ヤングのヒエログリフ解読競争の本を読んでいるのですが、めっっっっちゃ面白い。

今から何千年も前に死に絶えた言語を解読するのに、コプト語という瀕死の言語を頼りにしていく…なんて、どこの冒険野郎ですか。

 

 

 

 

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