当店の帯留は七宝焼でおつくりしています。
七宝焼とはどんなものか、全体的なことをお伝えする記事です。下調べでいろいろなサイトを見ましたが、世界の視点で書いているところは意外となく、参考になればと思います。
七宝焼とは
七宝焼の説明としては
金属の素地にガラス質の釉薬を焼き付けて装飾としたもの
というのが基本的なところです。
発祥は不明ですが、古いものとしては紀元前1350年頃のエジプトの少年王ツタンカーメンの墓から見つかった「黄金のマスク」が有名です。
wikipediaより
金の素地を鎚金(ついきん:ハンマーで裏から叩き模様を出すこと)してラピスラズリを模したガラス釉薬を溶着したと考えられています。
溶着(ようちゃく)は、くっつけたい2つの素材を熱して溶かし、圧力をかけてくっつけてから冷却するというもので、この高度な技術を今から約3,400年も前に実現していたことについては多くの謎が残っています。
一般的には、七宝の技術は5~6世紀のビザンチン帝国において完成したとされています。
「七宝焼」の名称の由来
七宝という大層な名前は仏教に由来し、七種の宝のように美しいという意味です。七種とは、法華経であれば「金・銀・瑠璃・シャコ貝・メノウ・真珠・玫瑰(まいかい)」です。
玫瑰は中国で産出されていた赤い石のことを指します。
特にどんな石であるということは記されていない。雲母などの類と言われている。現在では「玫瑰」と名がついているものは、「玫瑰石」と呼ばれるロードクロサイト(インカローズ)、「玫瑰水晶(芙蓉石)」と呼ばれる「ローズクォーツ」がある。しかし、アジア圏での産出されていたことを考えると、辰砂(丹砂)のことを指しているのではないかと考えられる。この石は「賢者の石」と呼ばれ、中国では漢方の材料として扱われていたことがある。しかし、強い毒性をもつ鉱物であるので、現在は使用されていない。
-コトバンクより
今では謎めいた石も含まれる「七宝」ですが、とにかく自然にできた世にも美しいものに匹敵する人工物、それが「七宝焼」というわけです。
古代エジプトから現在まで、世界中の宝飾品に使われてきました。
さて、七宝焼を分けていくとどのような種類があるのでしょうか。
大きく3つに分けて見ていきます。
象嵌七宝・Champlevé・Senkschmelz・内填琺瑯
金属の素地に紋様の形のくぼみをつくり、そこに釉薬を充填して焼き付けたもの。
ツタンカーメンの黄金のマスクもこの形であり、その後のキリスト教文化圏で盛んにつくられます。
Champlevéは「シャンルベ」と読みます。ロマネスク芸術と結びつき技術が向上しました。
一方、より芸術性の高い「バスタイユ技法」で作られる作品もうまれました。半透明の釉薬を使い、素地の線が透けて浮き出て見えるもので、現在では時計の文字盤などで見られます。スイスのメーカーのものなどで見かけます。
ドイツ語ではSenkschmelz、「沈んだ」エナメルという意味です。金属の板をたたいてくぼめて、一部を沈めていることに由来します。
七宝焼の技術はシルクロードを渡って中国から日本へ伝わったと考えられていますが、中国ではこの「内填(ないてん)琺瑯」は発達しなかったようで、現存する作品は極めてまれです。
日本では
江戸時代までの七宝技術は主にこの象嵌七宝で、今ではざっくり「古七宝」と呼ばれています。
名古屋城上洛殿の飾り金具など、現在でも象嵌七宝を見ることができます。
また、この分野は時計の文字盤に技術が集められているようです。セイコーのcraftsmanshipのモデルに七宝のダイヤルのものがあります。尾張七宝の方が文字盤製作を担当されています。
有線七宝・Cloisonné・Vollschmelz・掐糸琺瑯
素地に細いリボン上の金属板で文様型の壁を立て、その内外に釉薬をおいて焼き付けたもの。最後に研ぎだしたときに、最初に建てた壁の面が文様の輪郭線となることからこの名前で呼ばれています。近代日本七宝でもっぱら行われた手法です。
西欧ではCloisonné(クロワゾネ)とよばれています。紀元前 12 世紀、キプロスの墓所で出土したミケーネ王朝の指輪には、細いワイヤーを使用した七宝が施してあります。
8世紀ごろのビザンチン帝国では、この有線がより加工しやすくなり、特にイスラム世界で盛んにつくられるようになりました。
中世ヨーロッパでは14世紀までにシャンルベに追いやられて作られなくなっていきましたが、この技術は中国に流れついて発展していくことになります。
ドイツ語ではVollschmelz、「フルメント、全体を覆う」という意味が含まれています。素地の上に線をたて、その全体を覆うように釉薬をのせるところから来ています。
中国には13~14世紀、元の時代に技術が伝わり、明・清の時代に盛んに作られるようになりました。掐糸(こうし)琺瑯として呼ばれています。
日本では
現在の「日本の伝統工芸」としての七宝作品といえばこの有線七宝のことをいいます。
尾張藩士の次男・梶常吉があたらしい七宝製法を作り上げていく中で、手本としたのが中国の掐糸琺瑯でした。先述の通り、名古屋城上洛殿の飾り金具など象嵌七宝の銘品は存在していたものの、下級武士だった梶はそれを見ることができず、しかしそのため日本の七宝が有線七宝に舵を切り、発展していったとも言えます。
平面だけでなく立体のものも多い七宝ですが、器全体が線と釉薬で覆われる有線七宝は、器の強度を増し、大型の作品をつくることを可能にしました。
現在使われる線の種類は、
金線・銀線・銅線・真鍮線など。
琺瑯・émail・enamel・画琺瑯
金属の素地にそのまま釉薬で絵を描いて焼き付ける方法。
エマイユ、エナメルといえばこのことを指します。上のふたつと異なり、工芸品というより絵画に近い仕上がりになります。実際、絵画作品をエマイユで作った作品が多く残されており、ポール・ヴィクター・グランドーム(1851~1944)はギュスターブ・モローの作品からインスピレーションを受けた七宝作品を残しました。
下の写真右のポストカードの作品は「グリザイユ技法」で作られています。グリザイユはフランス語で灰色を意味し、絵画の技法としても知られています。
七宝焼でのグリザイユ技法は、素地の一面に黒釉薬を焼き付けたあと白の釉薬を濃淡をつけて絵付けすることによって、カメオのような繊細な表現ができるものです。
日本では
日本の美術工芸品としてはあまり発展せず、琺瑯鍋のような日用品の装飾にとどまっています。
中国も同様、あまり例を見ません。
近代・現代の七宝について
明治10年、ドイツ人化学者のワグネル氏の協力によって釉薬が改良され、近代七宝が盛り上がります。
国の威信をかけた万博への出品、工芸から美術品と世界に認められることへの悲願、二人の巨匠「並河靖之」と「濤川惣助」の台頭、海外コレクターによる蒐集…と続きます。
このあたりは他にもたくさんの記事がありますので、探してみてください。
現代は、一部の超高級品としての七宝焼が作り続けられています。
「七宝焼作品は幾度となく窯に入れられ、延々と磨き上げられた末に店頭に並ぶ。最後の最後で割れることもある気の抜けない作品だ。我々が七宝焼の壺を買うとき、我々はその失敗した品の分も支払わされているのだ」とは誰が言った言葉だったか。
あとは工業製品として、時計の文字盤、車のエンブレム、学校や会社の校章・社章などに技法が使われます。
そしてまた一部でアクセサリーをつくる人々がおり、当店もその端くれです。
当店の作り方は今のところエマイユに近いです。
ここに並べた歴史ある写真には比べようもないのですが、先人に対するリスペクトのもと、商品を研究し、作っております。
めくるめく七宝の世界、お楽しみください。