店主アユカワは毎日着物生活なわけではありませんが、よし着ようと思ってパジャマを脱いでから15分で着付けが完了します。
もちろん、最初からそうだったわけじゃありません。そもそもの出発点が「洋服マジで無理」から始まったわけですから。
突然の自分語り多めできもちわるいのですが、変わりたいと泣いていた20代が帯留を処方する魔女になるまでのお話、ご興味があればお読みください。
洋服マジで無理、特にハイヒール
アユカワは基本胴長短足でどこにでもいる顔立ちの30代です。
上場企業に勤めていたことがあります。スーツにハイヒールで会議室を走り回ることもよくありましたし、地方の自治体に出張して県知事と社長が何かと調印するときに走り回っていることもありました。
疲れとヤケ酒によるむくみで、いつも脚がパンパンでした。夕方にひと回りサイズの大きくなった足がハイヒールに擦れていつも血だらけでした。
オーダーメイドの靴なら楽になれるはずと思って行ってみたら、サイズが「合う」ということが分からなくて首をひねっているうちにお店から追い出されました。お店に難癖をつけに来たのだろうと店長さんに思われたのでした。
今は笑えますが当時はこちらの過度な期待を目の前で拒絶されて、規格品だけでなくオーダー品にも自分がフィットしないという事実が突き刺さり、わたしは服の似合わない人間なのかもしれないと追い詰められました。
洋服で外を歩くのがこわくなりました。
そのとき思い出したのが着物でした。
子どものころから浴衣くらいは着ていました。
着物なら、ハイヒールをはかずに済む。少なくとも痛い思いをすることはないだろうという逃げの気持ちを持ちました。草履の鼻緒が痛いことは夏祭りの浴衣で経験していたけど、それでも逃げ道が欲しかった。
人のために着物着ても意味ない
そうこうしているうちに結婚して、それから夫についてアメリカに行くことになります。そこで待っていたのは「着物を着てアメリカ人をおもてなしするパーティ」への参加でした。
アメリカでのパーティと正午の茶事
困った。なに、どういう状況?
でもここで初めて、本格的に着物を習います。先生は夫の上司の奥様。
楽しかった。奥様はスパルタでしたが社会人になって久しく忘れていた、「何かができるようになる」感覚がありました。
パーティは芸能人の方をお見掛けしたりしてドキドキしている間に終わりましたが、終わってみて、足が痛くないことに気づいて感動しました。
これで、日本に帰ってハイヒールを履かなきゃいけない場面では着物を着ようという決意を固めます。
帰国後。就職してからずっと細々と続けていた茶道で、先の決意をぺしゃんこにする出来事がありました。
正午の茶事。
茶道をたしなむ者にとっては必ず通る、一番正式な茶会です。皆が時間通りに集まって、厳粛ながらも学びのある会話をし、酒を飲み、心配りの行き届いた膳を楽しみ、菓子を食べ、茶を飲む。
私はその茶事に、もっとも下位の生徒でありながら、遅刻しました。
急ぎました、泣きながら着物を着ました。帯がどうしても結べない、もう電車に乗っていなきゃいけない時間なのに。焦るからもっと崩れる、やり直し。
洋服から逃げてきたのに、着物の壁が高すぎる。正解を探すのがつかれる。
その後もなんとか着たり着なかったりを繰り返す中でぼんやり思い始めたのは
「誰かのために着る」のは向いてないわ
でした。
必要な場面では着るけれど、私がやりたいことは、自分が、自分の楽しみのために着ることなんだろうと認識。
着物を着るとどうしても美人度が上がる
そしてここからしばらく、自分が気持ちよく着るための試行錯誤をします。
友人の結婚式、夫との花見デート、保育園でのミニ茶道教室
とにかく好きに着よう。最低限のことを守りつつ、自分がなりたい姿を着物で見せようという気持ちで着ていきます。そうすると、堂々と、ゆったりとした気持ちでいられるものです。
友人の結婚式ではプロに着付けしてもらいました。こういうところでは我流にならないように、目立たないように。ともに参列した友人からは「なんかイメージ通りだわ」「もともとの雰囲気に拍車がかかっただけだわ」の評価。なりたいイメージに近づいて、二次会のあとも脚が痛くない。
続いて夫との花見デート。桜と菜の花が一緒に見られる川沿いに小旅行。気温の高い日だったので白の着物につばの広い麦わら帽子。
なんか姿勢も良くなるものだから街行く人が振り返ったりして、平凡な顔立ちなのに、おしりが突き出ている体型なのに、「人が振り返る!!!」笑われていない。明らかに好意的な目線を感じる。テンション上がった末の悲しい勘違いじゃない。
一方で、地味~にもできるものです。書生さんのようにボヤけた印象は残るが、洋服の中に混じっていてさほど思い出せないような着方もできます。保育園で抹茶をシャカシャカするお手伝いに参加したときも、ごく自然に、こちらも変に目立つことなく終始動きやすい。
ここで得た学びは、
着物を着るとどうしても美人度が上がる。でも、着物を選ぶ目と着方のスキルが上がればその美人度もコントロールできる。
です。
帯を結ぶ練習をしていてハッと気づいた「これが『手を動かす』ってことか…!!」
大人がスキルを獲得していくのには、「やってみたらうまくいった」なんてありえない。練習してコツをつかんで、なりたい姿を引き寄せる。妄想してる暇はありません。
着物を着るとき、特に試行錯誤が必要なのは帯結びです。
自分でお太鼓結びはなんとなくできるようになったと思っても、
- 正面にシワがよらないようにしたい
- お太鼓の形の上はふっくら、下はきっちりしたい
- 背中が痛くならないように位置を調整したい
いろいろ改善点がでてきます。
YouTubeで動画をたくさんみて、何かしていてもその映像が目の前で再生されるような気がするまでになってきて、なんなら夢にまで出てくるようになりました。でも「帯を納得いくかたちに結んだ自分の姿」はまだ見ていない。そりゃそうだ、だって現実には何もしてないじゃんよあなた。
よしやるぞと思い腰を上げて練習し始めたら、動画をみて想像していたのと全然違う。気をつけなきゃいけないポイントが無限にあるとか、自分ならこっちの方がやりやすいとか。
最初に奥様に教えてもらったことは一つの正解だったけれど、「もっと変わりたい」と思ったのなら自分で手を動かしてスキルを上げるしかないし、簡単にとはいかないけどスキルアップってやればできるんだなと思いました。
そして着姿の印象のかわること。
着物って魔法少女の変身なんだなとこのとき確信しました。まとうものを変えられるのは魔法少女だけの特権じゃないんだなと。
あと、思い出しました、会社員時代の上司がなんども言っていた「手を動かせ」ってこういうことだったんだなと。あの時はパワーポイントを作れってことでしたけど。
「しっくりくる」は人それぞれ
それからしばらくして、茶道をご一緒している方に着付けを教える機会を得ました。
アユカワよりお若いが、実家に着物がたくさんありお母さまもよく知っておられるようでした。見せていただいた着物は華やかで、彼女にとても似合う。
まずは一通り自分で着られるようになることが大事。私が習ったように、奥様のメモ書きを見せながら覚えている限りの注意点をお伝えしつつ、一緒に着てみました。
呑み込みの早い方で3回でだいたい着られるように。あとは彼女の体型に合わせてシワが寄りやすいところの処理をどうするかとか、細かいところをお伝えしました。そのポイントが私とは全然違いました。
ここまできて、あと私にできることはありませんでした。この先は彼女が自分自身でしっくりくるポイントを探していくのだと思いました。
お茶をいただきながら着物の話をしていて彼女が言うのには、「わたし『ハイカラさんが通る』の世界が好きで、あんなふうに着物着てみたいんです」。ご存じでしょうか。わたしも大好き。明治大正の活気のある雰囲気が着物にも表れていてかわいい。けどわたしはそんなこと考えたことなかった。
この比較ができて、本当に面白かった。
なりたい姿になるには、そこに行きつくまでの試行錯誤やスキルアップも含めたことなんだなと思いました。大人が魔法少女のように変身するのは、誰かに魔法をかけてもらうのを待っているんじゃなくて自分で獲得していくんです。大人だから。
ステータスが上がってアイデンティティが更新された
きちんとした場面では着物をどんどん着ていこうと決意してから5年。
気づけば15分で着物を着られるようになり、不完全ながら人の着付けを見てあげられるようになりました。
茶道のときの慎ましい着方が得意だけど、「書生さんみたいに」とか「しゃなりの音が聞こえそうな感じで」とか、自分なりのそのときの着方を考えてやってみるようにもなりました。
洋服を着ているわたしは平凡で機能重視。鏡なんか見ない。毎日子育てに追われて夕飯の買い物の値上がりに悩み、日常をぬけだすチャンスがないかと遠くを見つめるだけのどこにでもいる主婦。
でも着物を着ているわたしは、全身をよく見るし、選んだアイテムがストーリーを作るようにイメージしているし、何を言われても大丈夫な強靭な気持ちを持っている。「着る」という行為が自分のスキルを高めたことを知っているし、非日常をほんの少し自分の手で作り出せることも実感した大人の女性。
着物がこんなふうに自分を変えるとは思っていませんでした。
スキルアップやステータスアップの講座みたいのはたくさんありますが、「毎日身にまとうものを変える」 ことに挑戦するからこそ目に見えるレベルが上がっていったというのがあると思います。
大人女性の「変わりたい」に帯留を処方する魔女
で、今は、自分を変えたいと思う人に向けて、心や頭を変えるより服装を変える方が結果が出るのでは?と思いながら帯留をつくっています。
気持ちはエルフが魔法道具を作るのと一緒です。
あ、エルフの定義は…ロードオブザリングの以前以後によって違ってきますが長くなるので割愛しますけども。
自分を変えたい、変わらなきゃ、と思っている状態は頭のなかで起こっていて、身体は1ミリも動いていません。
でも着物みたいな、着るのに知識とお金と失敗を必要とする服を思うままに着れるようになるには、とにかく動いて、やってみなきゃいけない。
頭で考えてがんじがらめになってる場合じゃない。YouTubeを見てシミュレーションしてるだけじゃひとつも前に進まない、無理にでもやってみるんです。
着物のお約束ごとを知って、
一式そろえると結構高くつくけど思い切って買って、
ぐちゃぐちゃになる帯と格闘しながら、
いつの間にか着られるようになっている。
それが大人の魔法使いの変身シーンです。簡単にはいかないよ。
でも、そんな人たちの頑張りを応援するような変身アイテムを作っています。
着物を着たいけど迷っている、という人もいるだろうし、
必要があって面倒だけど着なくちゃ、という人もいるだろうし、
既に着物を「新しくて自由な服」ととらえて楽しんでいる人もいると思います。
アユカワは祈っています。
着物を着ることを通してみなさんの「好き」と「できた」がどんどん増えますように。
この小さなひと粒が着物を着る後押しになりますように。
着物姿の「新しくて自由な自分」を鏡のなかに見つけたとき、その最後のパーツとなりますように。
よければ見てってくださいね。
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